ある日、香春町からトンネルを抜けて行橋へ向かった。トンネルの名は「新仲哀隧道」だった。仲哀天皇ゆかりの古道なのか?
「仲哀天皇が熊襲征伐の折、この峠を通られたことに由来する。隧道が開削された谷には仲哀天皇腰掛岩など、 仲哀天皇にまつわる伝説があったのにちなみ仲哀隧道、取り付け道路の峠道は仲哀峠と命名された。」ということだった。
仲哀天皇の父は日本武尊神、皇后は神功皇后。熊襲討伐のため皇后とともに筑紫に赴き、宇佐八幡で神懸りした皇后から「新羅を授ける」という託宣を受けた。この託宣に構わず熊襲を攻めたものの敗走。翌年橿日宮(香椎宮)で急死し、神の怒りに触れたと見なされた。熊襲征伐の途中で矢に当たったともある。
このトンネルの西側に香春岳がある。この辺りは古代朝鮮半島の人が住みつき、銅を採掘、精錬していたところだ。宇佐八幡の銅鏡や東大寺の大仏の銅もここで精錬されたものだ。「採銅所」という地名はいつの時代につけられたのだろうか。
今は石灰岩が削り取られ、一の岳の山頂は真っ平らになっている。標高は492mから270mになっている。
国道201号線をはさんでセメント工場がある。一の岳から太いパイプが国道を跨いで工場まで伸びている。 このセメント工場(浅野セメント 日本セメント を経て 香春太平洋セメント)を見るたびに子供たちと「ラピュタの工場みたいだね」と話したこともあった。
*追加情報:太平洋セメント瓦工場は2004(平成16)年、セメント需要の低迷により解散。セメント生産は終了しているが、一ノ岳の香春鉱山で石灰石採掘は続いており、鉱山部門は新会社によって継続されているため、閉鎖はされていない。