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香春神社周辺 其の五

 父が残した書籍の一冊「日本にあった朝鮮王国」~謎の「秦王国」と古代信仰~(大和岩雄 著)
この本の舞台が豊前の国であることを知って、豊前の神社を調べるようになった。

 父方の祖先は宇佐八幡宮に関係があり、その宇佐八幡宮に香春神社が関わっているということもきっかけの一つ。

 八幡神は、自ら「吾、辛国の城に八流の幡を天降し、日本国の神として顕れ」というように、わが国古来からの神ではなく、大陸から入ってきた神で、その原姿は新羅から渡来した神だといわれている。

 新羅の神 豊前国風土記(天平5年733頃成立)逸文

 「田河郡・鹿春郷カハル。この郷の中に川があり、年魚アユがいる。
この河の瀬は清いので、清河原キヨカハラの村と名づけた。
いま鹿春の郷というのは訛ったのである。
昔、新羅の国の神が自ら海を渡って来着し、この河原に住んだ。
郷の北に峰がある。
頂上に沼がある。
黄楊樹ツゲが生えている。
また竜骨がある。
第二の峰には銅と黄楊、竜骨などがある。
第三の峰には竜骨がある」

 香春はカワラと読み、河原からの転とも、朝鮮語で“金の村”を意味するカグポルからくるといわれている。

 南から一・二・三の峰の並ぶ香春岳は石灰岩からなる山で、特に三の峰は銅を産出することで知られ、今も、三の峰麓には“採銅所”という地名が残っている。

 風土記にいう“新羅の神が来着し”とは、その神を祀る新羅の人が渡来してきたことを意味し、彼らは秦氏系といわれてる。

 秦氏とは、応神14年(西暦283年)に百済から百二十県の民を率いて渡来した弓月君ゆづきのきみの後裔といわれている(日本書紀)。

 秦氏は土木・養蚕・機織り・採鉱冶金といった先進技術をもって各地に展開したといわれ、風土記の記述は、新羅からの渡来人・秦氏が、香春岳の麓に居住して銅鉱の採鉱・精錬・鋳造に従事していたことを示している。

 これら渡来人が奉じていた新羅の神とは、わが国の素朴な自然信仰を許とする農業神的神格とは違って、新羅の古来信仰に仏教・儒教・道教などが複雑に混淆した特異な神だった。

 特に香春に渡来した新羅の神は、渡来人のもつ鍛冶技術ともあいまって鍛冶の神という神格が強く、それにたずさわる鍛冶工人は、岩石から銅を取り出すという人智の及ばない呪力を持つシャーマンでもあった。

 風土記にいう新羅の神の後嗣は、今、古宮八幡宮に常座する豊比咩とよひめであると考えられる。

 香春神社
豊前国風土記によると、昔、新羅の神が海を渡ってこの河原に住み、郷の北に三峰あり、古く、一の峰に唐土に渡っていた神「辛国息長大姫大目命からくにおきながおおひめおおめのみこと」を祀り、二の峰には天津日大御神の御子の「忍骨命おしほねのみこと」、三の峰には神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母の「豊比売とよひめ」を祀っていたという。
豊比売命は続日本紀に八幡比売神であると記され、宇佐の元神とされる。

 豊比売命とは?

 魏志倭人伝によれば
男子を王とする倭国は7、80年経過したのち、歴年のあいだ相攻伐あいこうばつが続いた。
この争乱はヒミコを女王として共立することで治まっていたが、ヒミコが死んで男王を立ててから国中が従わず、さらに互いに誅殺し、当時千余人を殺した。その後 ヒミコの同族の娘トヨを王として、ついに国中が治まった。

 豊比売命とは「トヨ」だろうか?

2013年1月30日
2021年5月9日 改

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