香春神社と古宮八幡宮
『香春神社』は延喜式神名帳(927成立)に、
「豊前国田川郡三座 辛国息長大姫大目命神社、 忍骨命神社、 豊比咩命神社」とある式内社。一ノ岳の麓に鎮座。
香春神社古縁起には「第三殿は豊比咩命の御殿だが、豊比咩命は祭の時のみ新宮に留まり、祭が終わると採銅所に帰られるから“空殿”という」と注記がある。
『古宮八幡宮』(元宮八幡ともいう。式内社ではない)は三の岳の麓に鎮座する。
畧縁起には「最初の鎮座地は香春三ノ岳の麓、阿曽隈という所である」とある。
また、「創祀は和銅2年(709年)である」とある。
*延喜式神名帳(927年)に記載された神社、および現代におけるその論社を「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社、式社という。
・香春神社縁起(成立年代不明)
「元明天皇・和銅2年(709)第一岳麓に社殿建立。三社の神(現祭神と同じ)を併せ祀り奉り『新宮』という」
「息長大姫尊は神代に唐国(韓国・新羅)経営に渡らせ給い、崇神天皇の御宇、本郷に帰り給い第一岳に鎮まり給う。」
「忍骨命は天津日大御神の御子で、荒魂は南山に和魂は第二岳に鎮まり給う。」
「比咩命は第三岳に鎮まり給う。」
「三神三峰に鎮座し“香春三所大明神”と崇め奉る」
・香春神社古縁起(太宰管内志所載、成立年代不明)
「第一殿は大目命、第二殿は忍骨命、第三殿は空殿なり」
第三殿空殿の理由として、
「第三殿は豊比咩命の御殿だが、豊比咩命は祭の時のみ新宮に留まり、祭が終わると採銅所に帰られるから“空殿”という」との注記あり。
・続日本後記(869成立)・承和4年(837)条
「太宰府曰く、豊前国田河郡香春神は辛国息長火姫大日命、忍骨命、豊比咩命の是三社である。」
「元々この山は石山であって草木がなかったが、延暦22年(803)、最澄が入唐するにあたってこの山に登り、渡海の平安を願って麓に寺を建てて祈祷したところ、石山に草木が繁茂するという神験があった。」
「水旱疾疫の災いがある毎に郡司百姓が祈祷し、官社に列することを望んだので、之を許した」
・香春神社解文(弘安10年1287成立)
「日置絢子が採銅所内にある阿曽隈を崇拝し奉る。降って元明天皇御宇・和銅2年、『新宮』に勧請し奉る。是香春也。本新両社と号す」
・三代実録(901年成立)・貞観7年(864)条
「豊前国従五位下辛国息長比咩神・忍骨神に従四位上を叙す」
2013年1月31日
2021年05月09日 改