«
  
に投稿 コメントを残す

香春神社周辺 その八

天之日矛 と 都怒我阿羅斯等 と 赤留比売

 『摂津国風土記』逸文(『萬葉集註釈』所引)によると、応神天皇の時に新羅国の女神が夫のもとを逃れ、筑紫国の「伊波比乃比売島」に住んだ(大分県の姫島か)。しかしこの島はまだ新羅から遠くないため男がやって来るだろうと、さらに摂津国の比売島松原に移った。そしてその地名「比売島」は元の島の名を取ったことに由来する、という。 

 『古事記』では応神天皇記に次の記述がある。
 昔、新羅のアグヌマ(阿具奴摩、阿具沼)という沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。すると女はたちまち娠んで、赤い玉を産んだ。その様子を見ていた男は乞い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。ある日、男が牛で食べ物を山に運んでいる途中、天之日矛と出会った。天之日矛は、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。男が釈明をしても天之日矛は許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出して、ようやく許してもらえた。天之日矛がその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になった。
 天之日矛は娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。しかし、ある日奢り高ぶった天之日矛が妻を罵ったので、親の国に帰ると言って小舟に乗って難波の津に逃げてきた。その娘は、難波の比売碁曾の社に鎮まる阿加流比売神であるという。

『日本書紀』では垂仁天皇紀に次の記述がある。(垂仁天皇は応神天皇の子、神功皇后の孫)
 都怒我阿羅斯等は自分の牛に荷物を背負わせて田舎へ行ったが、牛が急にいなくなってしまった。足跡を追って村の中に入ると、その村の役人が、「この荷の内容からすると、この牛の持ち主はこの牛を食べようとしているのだろう」と言って食べてしまったという。都怒我阿羅斯等は牛の代償として、その村で神として祀られている白い石を譲り受けた。石を持ち帰って寝床に置くと、石は美しい娘になった。都怒我阿羅斯等が喜んで娘と性交しようとしたが、目を離したすきに娘はいなくなってしまった。都怒我阿羅斯等の妻によれば、娘は東の方へ行ったという。娘は難波に至って比売語曾社の神となり、また、豊国の国前郡へ至って比売語曾社の神となり、二箇所で祀られているという。

 また、『日本書紀』では次の記述もある。
 崇神天皇の時、額に角の生えた都怒我阿羅斯等が船で穴門から出雲国を経て笥飯浦に来着したという。そしてこれが「角鹿(つぬが)」の語源であるとしている(角鹿からのちに敦賀に転訛)。また垂仁天皇の時の帰国の際、天皇は阿羅斯等に崇神天皇の諱(御間城<みまき>天皇)の「みまき」を国名にするよう詔した(任那(弥摩那)の語源)。その時に阿羅斯等に下賜した赤絹を新羅が奪ったといい、これが新羅と任那の争いの始まりであるとする 

 仲哀天皇と神功皇后は初めに角鹿(つぬが)の笥飯宮(けひのみや)を宮としていた。

 『豊前国風土記』逸文(『宇佐宮託宣集』所引)では、新羅国の神がやって来て田河郡鹿春郷の付近に住み「鹿春の神(かはるのかみ/かわらのかみ)」と称されたとする伝承を記す(香春神社)。

 豊前国風土記・逸文に、「田川郡・鏡山。昔、息長足姫命が此の山に登られ、新羅征討の成功を祈って鏡を安置された。その鏡が化して石となり現に山の中にある。それで鏡山という」との一文がある。
 熊襲征伐行軍の際この地を通過したという伝承があり、トンネルには「仲哀」の名がつけられている。

 香春社縁起では
 「新羅神は比売許曽(ひめこそ)の神(赤留比売(あかるひめ))の垂迹(すいじゃく)で、摂津国東生り郡・比売許曽神社と同体也」とある。アカルヒメとは日光に感じて成り出でた赤玉から生まれ、新羅の王子・天日鉾(あめのひほこ)の妻となるが、日鉾の横暴から逃れて渡来し、一旦筑紫に留まり、最終的に難波に祀られたという。
  (赤留比売 については「其の弐」でも書いているので重複している。)

 「豊比咩命」と、神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座したという「辛国息長大姫大目命」はどちらも帰化人が祀る神だったと思われる。
  辛国息長大姫大目命 は 赤留比売 ではないか?では 豊比咩命 は?

 香春神社の第一の神は高句麗系渡来人( 日置絢子) が香春の阿曽(あそ)(くま)の森に祀った神だった。沖縄や奄美の御嶽のような森が阿曽(あそ)(くま)社だったのだろうと思う。(ちょっと 新羅のアグヌマに似ていると思った。) この神はきっと火をつかさどる神だっただろう。

 その後、香春に移り住んだ 新羅からの渡来人の神は 赤留比売(あかるひめ)= 辛国息長大姫大目命 で、彼らはこの地に秦王国を作り、やがて勢力を広げながら各地へ技術や文化を広めていく。その中の一つの集団が宇佐へとたどり着き、八幡神を祀るようになる。この秦氏系の集団が「辛嶋氏」だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

«